聖ペレグレン

ペレグリン・ラツィオーシは1265年頃に、イタリア、ロマーニャ州のフォルリという市で、裕福な家庭の一人息子として生まれました。当時のフォルリは教皇領としてローマ法王に統治されていましたが、他方で反教皇派の行動拠点でもありました。ペレグリンが育った家庭は反教皇運動に深く関与していました。

そんななか教皇は、調停役として聖フィリポをフォルリに派遣することにしました。フォルリの人たちは、聖フィリポが来たら、格別のもてなしをしてやろうと決めており、教皇軍を虐殺したばかりの大広場に演壇をつくって待っていました。幼少の頃より武術の訓練を受けており、不良グループのリーダーでもあった若きペレグリンは、聖フィリポの演説中執拗にやじり倒し、興奮に我を忘れ仲間たちと壇上に押しかけると、たちまち修道士たちを打ち据えてしまいました。

やがて我に返り、自分のとった行動を深く恥じたペレグリンは、この時から回心したようです。友人たちと群れるのを止め、礼拝堂で一人跪いたまま時間を過ごすようになりました。そんなある日、聖母マリアがペレグリンの前にあらわれました。聖母マリアは、「シエナに行きなさい。そこであなたは、聖母のしもべと名乗る敬虔な人たちに出会うでしょうから、彼らに付き従いなさい」と言いました。ペレグリンはただちにそうしました。シエナの修道院に腰を落ち着けると、ペレグリンは情熱をもって修行に励みました。ペレグリンは自分の欲求を抑えるための方法をいくつも開発しましたが、なかでも気に入っていたのは、できるかぎり休息をとらないというものでした。何年ものあいだ、座ったり横になったりすることを避け、ほんの少しだけ地面に横たわることで満足していました。熱心な修行の末、やがて司祭となったペレグリンに課せられた最初の仕事は、フォルリに戻り新たな修道院をつくることでした。若い頃無法者として過ごした故郷に、修道院の創立者として戻ることになったのです。修道院の建設をすすめる傍ら(1308年完成)、ペレグリンは、病人たち、貧しい人々、社会の周縁にいる人々に献身的に奉仕しました。そんな苦行を続けていたせいか、ペレグリンの足に悪性腫瘍ができました。彼はこの苦しみをできるかぎり隠しとおしました。これ以上隠しきれなくなったときには、病気はもうだいぶ進行していました。足を切断するしか治療の手だてはなさそうでした。医師たちは手術の日取りを決めました。ペレグリンは足を引きずって聖堂へ行くと、キリスト磔刑像が描かれた絵画の前で、わたしの腫瘍を治し、傷と痛みをお取り除きください、と祈りました。すると信じられないことが起こりました。十字架の像が前にかがみ、そっとペレグリンの傷に触れると、その瞬間、病は癒されてしまったのです。この奇跡は、その献身的な生活ゆえにすでにもたらされていたペレグリンの名声をいっそう強固なものにし、やがて誰からともなく彼を聖人と呼ぶようになりました。ペレグリンはさらに20年を生き、1345年5月1日に80歳で亡くなりました。

■ 遺骸から漂う芳香

ペレグリンの死は、公表される前から知れ渡り、街なかのみならず周辺の市からも、人々が修道院に押し寄せていました。あまりの群衆に、その晩は市の門を閉めることができないほどでした。群集は、聖人の遺骸が教会へ運ばれ、埋葬されるのを待っていましたが、その間、驚くべきことが起こりました。むかしの伝記作家はこう記しています。「ペレグリンの遺骸が教会に安置されるや、遺骸から漂う芳香で、多くの病人が癒された」。

聖ペレグリンは現在でもなお、奇跡を起こす人として知られていますが、この著述家は、遺骸がまだ人前に安置されていたときに起きた、おびただしい数の奇跡について語っています。どうやら他の人たちに混じって奇跡を目の当たりにしていたようで、それは畏敬の念を起こさせる出来事であった、と記しています。

聖ペレグリンの驚くべき力を聞きつけて、生まれつき目の見えない男が教会にやって来ました。男が深い信仰心を胸に棺台に近づくと、遺骸はまるで生きているかのように起き上がり、その場にいる全員の前で盲目の男の目に触れました。そして再び、もとのように横たわったのです。男は自分の目が見えていることに気づきました。この奇跡に人々はひどく興奮してしまい、その興奮を静めるためには、教会の聖職者たちが乗り出さざるを得なくなったほどです。棺台が置いてある教会のまわりに武装した守衛たちを配置し、人々が聖人の遺品を持ち去るのを防ぎました。

1639年、フォルリの修道院に礼拝堂が新設された際、聖ペレグリンの遺骸が掘り起こされましたが、その遺骸は、腐敗もしておらず「かぐわしい香り」を放っていたということです。遺骸は行列とともに壮麗な大聖堂へ運ばれ、崇敬者たちのためにしばらく公開された後、新しい礼拝堂に安置されました。いまもそこに霊廟があります。

1726年12月27日、聖ペレグリンは正式に聖人の列に加えられました。

1926年、フォルリ司教は再び遺骸を調べましたが、どの部分もほぼ完全な状態で残っていました。

聖人ご絵 聖ペレグレン 癌の守護聖人聖ペレグレン Peregrine Laziosi

105mm×55mm 紙 裏白

聖ペレグレン 5月1日 癌に苦しむ人の守護聖人 

Saint Peregrine Laziosi (Pellegrino Latiosi) (c. 1260 – 1 May 1345) is an Italian saint of the Servite Order (Friar Order Servants of Mary). He is the patron saint for persons suffering from cancer, AIDS, or other illness.

Born c. 1260, Forlì, Italy

Died May 1, 1345

Venerated in Roman Catholic Church

Canonized December 27, 1726, by Pope Benedict XIII

Feast May 1

Attributes one leg covered in a cancerous sore, a staff

Patronage persons suffering from cancer, AIDS, or other illnesses

1700年、ドン・フランシスコ・アルミンジョーニはローマにやって来ました。サン・ピエトロ広場を歩いていたとき、突然、足が激しい痛みに襲われ、これ以上歩くことができなくなりました。医師に診てもらうと、悪性腫瘍と診断されました。病気の進行がとても速かったため、医師は、命を救う唯一の手段として、足の切断を勧めました。

ドン・フランシスコは嘆き悲しみました。いたたまれなくなった医師は、聖ペレグリンに望みを託してはどうか、と提案しました。ドン・フランシスコは、ぜひそうしたいと肯き、知り合いの司祭に聖人の遺物を持って来てもらいました。患部の上で十字を切り、聖ペレグリンのメダイを握りしめると、心が穏やかになり、横になって休みたくなりました。

真夜中、ふと目を覚ましたドン・フランシスコの前に、自分が助力を願った聖人が立っていました。翌朝、包帯を外してみると、腫瘍はあとかたもなく消え去り、周囲の皮膚もきれいになっていました・・

¥25

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祈りカード 聖ペレグレン がん患者の守護聖人

お祈りカード 11×7センチ 紙 裏祈り日本語

ガン患者の保護者聖ペレグリンの取り次ぎを願うお祈りカードです。

(7×11cm)

ガンに悩む方が多い昨今、特別定価でのご提供です。

¥15

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メダイ 聖ペレグレン 聖遺物つきメダイ

1726年に列聖されたペレグリン(1260~1345)は、主イエスを幻視し、左足のガンから奇跡的に癒されました。

※ ガンに悩む方が多い昨今、特別定価でのご提供です

素材:アクリル樹脂

縦1.7cm×横1.3cm

イタリア製

¥156

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アメリカ 聖ペレグレン メダイカード

高級プラスチック加工です

¥540

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ヴァチカン 聖ペレグレン がん患者の守護聖人 メダイつきパウチカード

しっかりとしたメダイと祈りのご絵を質の良いパウチに入れたカードです。カードは通常サイズより一回り大きく9×6センチです。

大切な方に。

¥972

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聖ペレグレンの一連ロザリオチャプレット 5月1日

癌の守護者 聖ペレグレンの一連ロザリオです。大変質の良い品です。

病院のベッドにもつけられる取り外し出来るタイプです。

¥3,000

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