イコン

イコン」と言えば正教会で用いられるものを指すことが多く、場合によってはイコンは正教会のものとして限定的に説明されることもある。イコンは、正教会以外のキリスト教の教派でも用いられないわけではなく、カトリック教会においても用いられるが、カトリック教会ではこれを聖画像とも呼ぶ


正教会においてイコンとは、単なる聖堂の装飾や奉神礼の道具ではなく、正教徒が祈り、口付けする、聖なるものである。但し信仰の対象となるのはイコンそのものではなく、イコンに画かれた原像である。このことについて、正教会では「遠距離恋愛者が持つ恋人の写真」「彼女は、写真に恋をしているのではなく、写真に写っている彼を愛している」といった喩えで説明されることがある。

聖大ワシリイ(大バシレイオス)(330年頃 - 379年)は、「聖像への尊敬はその原像に帰す」とした。ダマスコのイオアン(676年頃 - 749年)はこれを引用した上で、原像は聖像化されるものであるとともに結果を得る(尊敬を得る)元になるものでもあるとして、こうした聖像への敬拝を、東に向かって祈ることや十字架への尊敬とともに、書かれざる聖伝(アグラフォシス・パラドシス)に数えた。

すなわち正教会において、イコンは信仰の対象ではなく、崇拝の対象でもないが(崇拝・礼拝は神にのみ帰される)、信仰の媒介として尊ばれる。

こうした教義は第七全地公会議において確認されたが、この公会議では全き人としてこの世に存在した全き神であるハリストス(キリスト)を画き出すことは、神言の藉身(受肉)に対する信仰を守ることであることも確認された[16]。

正教徒がイコンの前で祈る時、描かれたハリストス(キリスト)、生神女、聖人に祈る。人はイコンを通じて霊の世界やそこに住む者に触れることが出来るようになる。パーヴェル・フロレンスキイは「イコンとは別の世界への窓口」であるとした[17]。イコンは神の国の存在を信徒に証するとともに、教会にある信徒が神の国にいることを証してもいる。正教の信仰において、イコンは「使用を認められた」というよりも、むしろ属神的(ぞくしんてき、霊的)必需品であるとされる[18]。

ギリシア語の「イコン」(ギリシア語: εικώνの中世 - 現代ギリシア語読み、古典ギリシア語再建音ではエイコーン)は、似姿、印象、かたどり、イメージという意味がある。思いや考えを託す器としてのイメージ(イコン)は、託されたものを表現する働きも持つため、器(イメージ、すなわちイコン)の破壊は器に盛られているものの破壊に通じると考えられる。ここでいう「器」は、具体的には伝統的なイコンの技法、既定された色や構図であると整理される。



ヴェネチアのイコン博物館です。