イコン男性聖人 さしすせそ たちつてと なにぬねの

イコン男性聖人 セノマニス(ポー川流域)の司祭 ジュリアン 7.5×6センチ厚み5ミリ 1016-27

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イコン男性聖人 ノヴゴロドの王子 スヴャトスラフ  7.5×6センチ厚み5ミリ 1016-11

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イコン 聖ダニエル  7.5×6センチ厚み5ミリ 1016-9 モスクワで最初の修道院を設立

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イコン男性聖人 ザドンスクの聖人 ティーホン  7.5×6センチ厚み5ミリ 1016-25

ザドンスクの聖ティーホン(1724年 - 1783年, ロシア語: Тихон Задонский)は、正教会の聖人(奇蹟者・成聖者)であり主教・神学者。

ドストエフスキーがロシア虚無主義に返答するために、『カラマーゾフの兄弟』に登場する長老ゾシマと、『悪霊』に登場する主教ティーホンのモデルとしたのは、このザドンスクのティーホンであるとされる[1][2]。健康上の理由で早くに主教位を退いて隠遁し、膨大な著作を残した。

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イコン男性聖人 パウロの弟子 テモテ  7.5×6センチ厚み5ミリ 1016-19

テモテ(希:Τιμόθεος、ラテン文字転記:Timotheos)は、新約聖書の『使徒行伝』に登場するリュストラ(現代のトルコ南部)出身の初期キリスト教徒でパウロの協力者、弟子。ギリシア語ではティモテオス。東方諸教会、正教会、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会で聖人。伝承では殉教者(致命者)とされる。正教会での記憶日は1月22日(ユリウス暦使用教会では2月4日に相当)。正教会では、使徒の称をもって呼ばれる七十門徒の一人に数えられることから「聖使徒ティモフェイ」と呼称される[1]。

『使徒行伝』によれば、テモテの父はギリシア人で母はユダヤ人であった。パウロはテモテを気に入り、自らの宣教旅行に連れて行きたかったので、ユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた[2]。これは西暦50年前後のことであると推察される。テモテはパウロの第二回宣教旅行、第三回宣教旅行に同行し、パウロのよき協力者となった。テモテはパウロに同行するほか、マケドニアなど、パウロがすでに宣教活動を行った場所に派遣されて、指導に当たっている[3]。

この宣教旅行の間に書かれたと想定される『コリントの信徒への手紙二』からも、テモテがパウロのよき協力者であったことがわかる。ここではパウロはテモテをコリントスの教会に派遣し、その指導に当たらせようとしている[4]。また『フィリピ人への手紙』などでは、テモテはパウロと並んで書簡の差出人とされている[5]。

のちの伝承によれば、65年パウロはテモテを按手し、エフェソスの主教(司教)とした。テモテは15年間主教としてエフェソスの教会を指導した(ただし別の伝承ではテモテは90年または93年に死んだとされている)。エフェソスの多神教徒が、テモテに自分たちの神を礼拝させようと強制したが、テモテは従わず多神教徒に福音を説いた。激怒した多神教徒はテモテを街路にひきずりだし、石を投げて殺した、と伝える。

新約聖書にある『テモテへの手紙一』および『テモテへの手紙二』はパウロがこのテモテにあてる形で書かれている書簡であるが、現代の自由主義神学、高等批評の研究では、パウロの死後、他の著者によって書かれたものであると考えられている。

聖書信仰に立つ福音派では、聖書の自己証言により、パウロによってテモテへの手紙が書かれたと認められている

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